2009年11月7日
全日本ロードレース選手権第7戦
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事前テストでの負傷が響き
惜しくもチャンピオンを逃す
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2009年MFJ全日本ロードレース選手権シリーズ第7戦
スーパーバイクレース in 鈴鹿
11月1日(日) 三重県・鈴鹿サーキット(東コース:2.243km)
天気 予選日:晴れ:/決勝日:曇りのち雨
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GP125(マシン:ホンダRS125R)
ゼッケン3尾野弘樹 予選20位 決勝10位
ゼッケン26権藤俊光 予選7位 決勝14位
JSB1000(マシン:ホンダCBR1000RR)
ゼッケン36桐井有希 予選24位
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バトルファクトリー 2009年全日本ロードレース選手権シリーズ 参戦結果
尾野弘樹 GP125ランキング3位(GP125 Youth CUPチャンピオン)
権藤俊光 GP125ランキング19位
尾野郡司 GP125ランキング26位
桐井有希 JSB1000ランキング26位
※浜口俊之は第6戦のみ参戦で9ポイント獲得
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全日本ロードレース選手権は、三重県・鈴鹿サーキットで最終戦を迎えた。今シーズンは泣いても笑ってもこのレースが最後。そしてバトルファクトリーのエース、尾野弘樹のチャンピオンがかかっている。前戦もてぎで決勝の最終ラップに転倒してランキング2位に後退したが、逆転チャンピオンの可能性は十分にある。まして鈴鹿サーキットはバトルファクトリーの目と鼻の先にあるホームサーキットだ。地の利を活かし、チーム一丸となってチャンピオン獲得に照準を合わせた。
最終戦は、今シーズンのシリーズポイント獲得者のみに参戦権が与えられる選抜戦だ。今回のレースは東コースのみを使用する。そして尾野はレース前週に行われた事前テストに臨んだが、全日本としては初開催の東コースということもあって転倒者が続出し、尾野もその1人となった。最終コーナーで転倒し、フェンスに激突した尾野は右肩を骨折する大ケガを負ってしまい、最終戦への出場は負傷の回復次第になった。出場できたとしても大きなハンディキャップを抱えることは間違いない。一方で後半戦から進境著しいチームメイトの権藤は事前テストで走りのリズムをつかみ、トップライダーと勝負できるだけの手応えを得た。
迎えたレースウィーク初日、この日は非公式のART走行が行われた。尾野は負傷した右肩へテーピングを施して出走し、まずはケガの具合を確かめながらの走行となったが、その影響は想像以上大きかった。普段とは走りの感覚が大きく異なり、左右の切り返しでは上体をうまく動かせない。骨折して1週間足らずしか経っていないのだから無理もないことだ。チームではケガの影響が少なくなるようにライディングポジションを変更するなど必要な対策をして翌日の予選に備えた。一方で権藤は好調で、セッション終了2分前までリーダーボード上で2番手をキープするなど上位を狙える位置につけた。
土曜は公式予選が行われた。選抜戦とあって出走は24台と少数精鋭となっており、尾野は前日よりきつめにテーピングを行い、精力的に周回した。ただ負傷に加え、東コースの走行経験が少ない尾野はペースメイクに苦しむ。そんな中でも気力を振り絞って終盤にタイムアタックをかけたが、前方を走っていたライダーが転倒したためタイムを伸ばせず20位に留まった。逆転タイトルを狙うには非常に厳しい状況だ。権藤は終盤のタイムアタックで7番手となり、全日本での予選自己最高位を得た。
迎えた決勝日。朝方は晴れていたものの、午後は天候の崩れが予報されておりGP125の決勝は雨になると目されていた。そして予報通りに昼過ぎに雨が降り出した。そのため急遽レース前にウェット路面での5分間のウォームアップが行われた。ケガを抱えている尾野にとってウェットレースは体への負担が少なくなるという点で都合が良いと言える。
そしてコースオープンとなり、尾野は20番グリッドにバイクを並べた。片やタイトル争いのライバル菊池寛幸はポールポジションと対照的だ。しかしレースは何が起こるかわからない。グリッド上の尾野は「とにかく全力でやるしかない」と覚悟を決めた。一方で7番グリッドの権藤は一抹の不安を抱えていた。なぜなら雨の練習が少なく、どのくらいまでペースを上げていいのかわからなかったからだ。
そして雨の中、レースが始まった。尾野が決してチャンピオンを諦めていなかったことは、そのスタートが示していた。尾野は重傷を抱えているとは思えないスタートダッシュで1周目に12台抜きを達成! この奮闘にピットも盛り上がる。東コースということで上位は集団となっており、尾野にも勝機が出てきたように思われた。
ところが負傷の影響は大きく、尾野はペースが上がらない。そのまま前方集団に離され、後ろも離れために単独走行となった。一時は7位まで浮上したものの、終盤に後方からペースを挙げてきた数台にかわされ、最後は単独の10位でレースを終るのが精一杯だった。それでもケガの状況を考えればトップ10でフィニッシュできたことは奇跡的だ。
一方、7番グリッドからスタートした権藤もスタートダッシュに成功して最初の1コーナーへ3番手で入った。ところが次の2コーナーでコースアウトして一気にポジションを落としてしまう。レース前の不安が的中し、雨のペースがつかめないのだ。その後もコースアウトする場面があった権藤は後方での単独走行となり、終盤に意地を見せて1台をかわし、14位でゴールに飛び込んだ。
なおJSB1000には負傷欠場の続いていた桐井有希が3戦ぶりに復帰したが、JSBの決勝進出者は21台と狭き門で、なおかつ桐井自身も負傷明けということもあり十分なタイムを出すことができず、残念ながら予選敗退となった。
最終戦の結果、尾野は1つポジションを落としてランキング3位となった。これは昨年と同じだが、今年のランキング3位は違うと尾野は言う。今年は攻めるだけ攻めて全日本初優勝も達成した。昨年の結果がフロックではないことを証明するとともに、名実ともに全日本トップライダーの1人となるまでに成長した。これは尾野とバトルファクトリーが3年間、積み重ねてきたものの成果だ。またバトルファクトリーで2年目を迎えた権藤も今シーズンの後半戦からトップ10の常連となり、確実に成長している。なお尾野は、若手ライダーを対象としたGP125ユースカップのチャンピオンを獲得した。
さて今後についてだが、今シーズンの活躍が認められた尾野は、イタリアのチームからスペイン選手権の終盤2戦に参戦することになった。これが来期からの世界挑戦の布石であることは言うまでもない。バトルファクトリーで育った尾野の今後に、ぜひ注目していただきたい。
みなさまから温かいご支援をいただきまして、バトルファクトリーは2009年の全日本ロードレース選手権において優秀な成績を挙げることができました。この場をお借りしまして御礼申し上げます。今後ともバトルファクトリーは精進してまいります。 |