4サイクル編
今回の部品開発に至ったきっかけは、ミスター・スズキと呼ばれた(いる)水谷勝氏の走行テスト中のけががそもそものきっかけとなった。‘01年度のことである。
余談になるのだが、私が水谷氏の存在を知ったのは、彼が500のチャンピオンに輝いた翌年と記憶しているが、あるバイク雑誌を読んでいて偶然見つけたのが、けがをして片足をつった状態で病室のベッドに横になり、笑顔でピースサインをしている彼の写真であった。
当時、バイクの世界にのめり込み始めた私が、知った最初のライダーの名前でもある。更に、偶然にも、生れ年も同じであることも判った。
そのときに思ったことを未だに鮮明に記憶しているが、「同じ年で、チャンピオンになった凄い人もいるのだから、がんばっていずれはこういう人と同じ世界で働きたい」と思ったのである。
その彼が、未だに活躍しているのを知ったのは、15年も後の(95年)全日本レースの最後に行われていたスーパーネーキット(今の前身)クラスに出場していたときであった。
この時に、初めて短いことばをかけてもらい、サインまで頂いて、年甲斐もなく感動したものであった。
その彼が、春先に負った大けがを押して迄も、8耐に挑戦する事が判り、チームからも「操りやすい車にならないだろうか」と相談を持ちかけられたのと、彼の執念を感じたからである。
ちなみに色紙には、「我が走り 我が人生
水谷勝」としてある。
前置きが長くなったが、ここからどのようにして部品が開発されていったかを、順を追って述べて行こう。
その前に、もう一つだけ付け加えると、80年代にNRのテストに同行したときに、安部孝夫氏に言われた言葉がある「あのなー永冶君、バイクはライダーがアクセルを開いただけ加速し、戻しただけ減速せにゃならん。
ライダーの意志と違う動きしたらあかんで」が、今日も、私の信条になっている。
この様な経過があって、初めてのマシンと対面することになった。先ず手始めに、「ドン付き」を解消できるかテストするために、同年(01年)に発表した2サイクル用のラム圧リリーフ・バルブを、そのまま手を加えずに装着した状態での試走となった。
というのも、この年に「4サイクルも、クランクケースに圧力が掛かるのは好ましくない」と記事にしたこともあり、これを確かめるいいチャンスでもあった。
やはり、予想していた通り、アクセルに対しての挙動は穏やかになった。しかし、ライダーのコメントは、意に反して「加速が鈍くなった」と言うものであった。
と言うのも、今までは立ち上がりで急激に加速していたわけだから、それが無くなると、パワーが落ちたように受け止められたとしても納得がいく。
それでは、と言うことでバルブの内側から目張りを施し作動しないようにして、再度試走する。結局は、「操れん、さっきの方がいい」と言うことになったが、ライダーのリクエストもあり、開け始めの加速感を得るために、異形のスロットルドラムを検討することになった。
次のテスト迄に試作し、いよいよ鈴鹿での各社合同テストとなった。「穏やかになったがアクセル開度が大きくなり、持ちかえないないといけない」とのこと。ここでドラムの変更は断念し、前回の仕様に戻し同時に試作しておいたワンウェイ・バルブを装着し、しばらく走ることになった。
慣れて来るに従い、徐々にタイムも上がり始め、自己ベストを2秒近くも短縮し始めた。後で判ったことだが、ブレーキング時のリヤーのホッピングも、おさまっていて操りやすくなり、アクセルも躊躇無くあけられるようになったことで、先に感じていた加速感の悪さは、段々気にならなくなったようである。
その状態で感じたことは、5速から6速に入れ、ブレーキングポイントまでの伸びが無い。と同時に、リヤーの挙動がおさまってきた事によって、リンクプレートの仕様が合わなくなってきたのである。その後は、ダクトとサスの変更を加え、8耐へと挑むことになった。
残念ながら、結果を残すことなく転倒リタイヤとなったが、次の課題も見えて大きな収穫の年となった。
ちなみに、エンジンは仕様に何の手も加えられていない。
8耐仕様での予選タイム2分14秒18合同テスト2分13秒台前半と、12秒台が見えてきた。
耐久終了後、更に開発とテストは続いた。残った課題をクリヤすべく、先ずはエアーファンネルの試作に取りかかった。と同時に、モデファイが禁じられているST600クラスへのリリーフ・バルブ装着のテストもある。
先ずは、従来のリリーフ・バルブを使用し、アダプターを作り、クリーナー・ボックスの水抜き穴にホースでつないでみた。パイプ径が小さいことを懸念していたが、減圧はその程度の穴でも十分に機能する事が判り、後はサイズと加工を施さないで取りつける工夫を考えれば良い。
そして、出来上がったのがブローオフ・バルブである。効果のほどは、前号で紹介してあるので参照してもらいたい。
試しに、ワンウエィとブローオフの両バルブを装着してテストを開始、JSB1000の時に出たコメントと同じで、「走らん」と言うことになった。
しばらく走った後で、全てをはずすと、「エンブレが効き過ぎ」とのこと。
ファンネルのテストは、耐久で使ったエンジンが全バラの状態であったため、車両をお借りしてのテストとなった。
平行してファンネルの有り無しのテストを繰りかえしていると、その場に居合わせた○○氏も興味を持ったらしく、試乗してくれることになった。更に○○氏は、帰り支度をしていた××氏にも声を掛け、両ライダー共脱ぎかけていたツナギを再度着込んで繰りかえしテストを行った。
結果は予想通り良かったらしく、そのまま全日本で使用することになり、現在に至っている。肝心なチームのマシンはと言うと、エンジン音を聞くのは翌年の8耐直前までお預けとなるのである。ちなみに、その後行われた2&4では、第3ライダーが8耐の予選タイムを更新している。
とは言っても、もう一つクランクケース圧を抜く仕事が残っていた。試作品は出来たが、テストが出来ない状態である。そこで、いつもショップに出入りしている750のユーザー氏にお願いすることとなった。
このマシンには、750用のファンネルとワンウエィ及びブローオフ・バルブがすでに装着されていたため、好都合でもあった。そして、引き受けたライダーが先入観に囚われないように詳しい内容は説明せずに乗せてみる。
インプレッションを聞くと、「何か、凄くエンジンが軽くなった。何やったの」との問いであった。今回装着した部品をはずし、再度有無を言わさずに買い出しがてら再度試走に出し、どんなコメントが返ってくるのか待っていると。
「ヤベー、どうせなら外す前に買い物頼んでよ」事情を聞いてみると、いままでの仕様に戻ったにもかかわらず随分とギクシャク感を感じたらしい。
これが商品になったら「世界で初めてテストしたのは、私です」と後に、自慢できるかもヨと冗談を言いながらタネ明かしをすると、やっと納得した様子ですぐにでも欲しい素振りである。寒い中、本当にご苦労さまでした。
この年は、結果的にはチームで出場した水谷選手がこのマシンに一度も乗ることがなかったのが心残りである。ちなみに、8耐はST600のライダーが初めてJSB1000のバイクに乗ったにもかかわらず、レース中のタイムが2分14秒台だった. |